24年勤めた会社を退職して気付いたこと。

はじめに

本ブログは長く生きづらさを感じながら生きてきた筆者の経験を元に、同世代(1980年代前後)に産まれた方、現在中高生の子供を持つ親御さん、中高生に向けたより良い人生を歩むきっかけづくりになればと思い開設したブログです。

いきさつ

表題の通り私(42歳 男)は、24年間サラリーマンとして働き、転職に伴い2024年3月に退職。2024年4月から新天地で働くも、不安/動機/不眠に悩まされ同年5月に早期離職。

その後、無職で半年間「やりたいこと」を探す中で得た様々な経験から、自分自身を見つめ直し、気付き新たな冒険(チャレンジ)に向け活動している中で「もっと早く知れたらな」と感じたことを皆さんに伝えられたらと思います。

※初めてのブログですので、脈絡のない文章構成等は大目に見てやってください!

就活社会人生活

私が就職した2000年の高卒求人倍率は1を切っており、いわゆる就職氷河期と呼ばれる時代でした。担任の教師からは「1社目がダメなら自衛隊にいけ」と言われるほど、求人がありませんでした。

同級生含め当の本人たちは生涯初の就職活動のため、求人倍率?自衛隊?何で?と、心配する教師をよそ目に何も気にしておりませんでした。(笑)インターネットなんて全く普及しておらず、ポケベル⇒PHS⇒携帯に移り変わる時代で、”世の中”を知るすべがありませんでした。

当然ながら置かれている情勢など気にもかけず、部屋に置かれた「求人票」をペラペラめくり、「基本給〇〇円」、「所在地」、「聞いたことのある会社か否か」くらいしか見ません。また工業高校に来る求人はサービス業、製造業がメインでしたので職種の比較検討などの選択肢もありませんでしたね。(そもそも求人が少ないので余計ですが・・・)

「おい、どこにしたん?」「いや~成績悪いから選ぶ順番が回ってこないわ」「先輩に誘われてたけど求人来てなかったわ」「○○と志望会社が被ったけど、どっちが選ばれるんやろ」「もーとりあえず町工場でもええから受けとくわ」「おいおいマッチ工場なんてこの先潰れるんじゃない?」といったような会話が瞬間的に盛り上がったのは記憶しています。

そんな求人票の中から私が選んだのはとある中小企業の会社でした。製造業/基本給157,000円/従業員数900人/親会社は大手上場企業/親会社100%出資の子会社で将来性あり。こんなステータスでした。

そして始まった社会人生活ですが・・・。

・仕事が覚えられない

・自分はダメだと思いはじめる

・周りの目が気になる

・歳が近い先輩と比べて卑屈になる

・苦手な先輩

・資格取得に対する拒否反応

・社内の技能を競う競技会への拒否反応

・逆出向(親会社の元で働く)

・給与格差

・会社への憎悪

等々、思い起こせば過度に反応してしまう私自身の気質だったと思いますが、常にストレスを抱えていました。この会社を退職する間に起こった出来事を振り返りながらどう感じ、どうすれば良かったのかを”今の私”の目線で考察しながらしばらくの間綴っていきたいと思います。

おわりに

自己理解をはじめたことによって、「他人の反応が気になる」「頼まれごとは断れない」「人に頼めない」「本が読めない」「人と競うのが苦手」といった長年の悩みの原因が少しずつ分かりだした気がしています。同じように悩まれている方や、この先、なるべく生きづらさを感じない/感じさせないための予防/対策など挙げていきいきますので、少しでもお役に立てればと思います。

では、今回はこの辺で失礼します。

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